かつてクズと呼ばれた私(今も) ~第1話~
私は1979年、文明と呼ばれるものがかろうじてあるくらいの、海と山で隔てられた僻地で産まれた。
電気や水道などは当然なく、自給自足の生活が強いられる厳しい環境だ。
海で採れる鰹(かつお)を主食とし、祝い事など特別な日には落ちている果物や木の実を食べた。
住居は自然にできた洞窟や掘った穴などで暮らし、服は葉っぱや蔓などで作ったものを巻き付けていた。
意思疎通には言葉を使えるくらいの知能はあったが、文字を読み書きできる者は人口のおよそ2%程であった。
この2%の人間は天才と称され、褒められ、おだてられ、特別優遇されていた。
当然私はこの2%の特別な人間であった。その当時の私は、驕り高ぶり傲慢な態度で悪態を周囲に撒き散らしていた。
そんな私が生まれ育った国(高知県)を出て、大阪、名古屋を経てアメリカに渡った。
アメリカを選んだ理由は特にない。なんかかっこいいなくらいの感じだった。
アメリカではアートという抽象的かつあいまいな職業を選んだ。
奇声をあげてのた打ち回っていれば褒められた。
ちょろいなと思った。
そのノリで日本へ帰国し、オリエント工業と呼ばれる会社で人間と同じサイズの人形を買った。
「奥さん」と名づけ今もそう呼んでいる。
その後都内のマンションに居を構えた。
ここで初めて自給自足ではなく、「労働」をし、「賃金」を得て生活をしなければならないことを知った。
労働をするため大塚にあるweb制作会社に嘘をついてもぐりこんだ話は次回で詳しくしようと思う。
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